石岡簡易裁判所 昭和35年(ろ)4号 判決 1960年12月26日
被告人 福田豊三
昭八・八・一生 自動車運転者
主文
被告人は無罪。
理由
本件公訴事実は、次のとおりである。
被告人は運転免許を受け、自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和三十四年八月二十一日午後三時二十分頃、普通貨物自動車茨一あ〇九八二号に肥料百十九叺約五頓を積載、時速約三十粁位で石岡方面から柿岡方面に向け進行中、石岡市鹿の子谷田部きく方附近県道に差しかゝり、その際自己の前方約二百米位の地点を対面して来る菊地光運転の自動四輪車茨四す五〇二七号を発見し、これと擦れ違いをなさんとしたのであるが、現場は巾員僅か五・五米位の狭隘な道路であり、しかも当時は路面乾燥し砂ぼこりのため見透しは出来ない状況下にあつたのであり、また右対面車の後方から進行して来る車馬があるやも計り難いので、自動車運転者としては見透しの出来る範囲内において十分徐行運転しなければならないのに、漫然従前の速度のまま進行し、その後右対面自動三輪車を牽引しておるのを約二十米位近接した際発見したのであるが、かかる牽引車被牽引車がある場合は、何時相手が運転を誤り進路上に出て来ることも予測されるのであるから、特にこの場合においては相手方の動静に細心の注意を払い、十分減速徐行するか、若しくは一時停車して擦れ違い、後発進する等の措置を講じ、事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるに拘らず、これを怠り漫然従前の速度のまま進行し、しかも運転を誤り慌てて右にハンドルを切つた過失により、自己車の車体右前部を右被牽引車たる自動三輪車に衝突せしめ、その反動によりその車に乗つていた小沼茂(当二十四年)を頸動脈刺創により即死するに至らしめたものである。というにあつて、
被告人並に今泉康男の司法警察員に対する各供述調書、菊地光並に塚田年男の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の実況見分調書、当裁判所の検証調書(昭和三十五年七月一日並に同年九月十六日検証実施)、医師滝田健次郎作成の屍体検案書によれば、被告人は昭和三十四年八月二十一日午後三時二十分頃、普通貨物自動車茨一あ〇九八二号(肥料百十九叺約五頓積載)を運転して石岡方面より柿岡方面に向け石岡下館線県道を進行し、石岡市鹿の子地内食料雑貨商谷田部きく方前に差しかかつた際、これと反対方面から菊地光の運転する自動四輪車茨四す五〇二七号が自動三輪車(未登録みずしま五五年式)を牽引して進行し来り、右牽引自動車四輪車が被告人の貨物自動車の右側を通り抜けた瞬間、被牽引自動三輪車と被告人の貨物自動車が衝突し、これにより右自動三輪車の操縦席に乗つていた小沼茂は頸動脈刺創を蒙り即死するに至つた事実が認められる。
前示検証調書によると、
本件事故発生地点である谷田部きく方前を東西に通ずる県道は、同地点から九〇・二米西方に(柿岡方面)右曲りのカーブがあり、カーブから東方は右谷田部方前を通じて五百米位も見透しのきく真直な平坦な道路である。その間交叉点や横断歩道もなく、雑踏の場所もない。道巾は谷田部方前において北側のヒバ垣根元から南端まで約五・五米であり、谷田部方前は軒下から道南端まで若干の空地(同宅前庭)がある。(附近道巾は概して右と同じく五・五米位)被告人並に菊地光の右各供述調書によると、本件の場合は被告人は東方より西方に向つて右道路を進行中、対面進行して来る菊地光の自動四輪車を二百米程手前において発見し、菊地光もまた右道路西方のカーブを曲つて直線道路に出たあたりで菊地の自動四輪車と対面進行して来る被告人の貨物自動車を右とほぼ同距離の前方に発見している。よつて先づ被告人が菊地の自動四輪車とすれ違いをする運転に注意義務を怠つた点があつたかどうかを検討するに、前記のように右道路の巾は約五・五米の比較的狭い道路ではあるが、法規上(旧道路交通取締法施行規則第二十九条)徐行しなければならない道路ではない。また右各供述調書、実況見分調書によると、当時は乾燥時であつたため、砂利道である右道路は自動車が通る毎に土煙りをあげ、その直後の見とおしがきかなくなる情況であつたことは認められる。しかし車の通る毎にあがる土煙りはその車の通過したあとはすぐ薄らぐものであり、これだけで普通後続する車が前方から見とおしがきかなくなるということは稀少の場合と考えられる(前車による土煙がひどいときは後続車は相当な間隔をおいて続くのは普通のことである)本件につき、土煙りのあがる道を対向して進向して来る車を約二百米位手前において認めた被告人の場合を考えるに、被告人はこの道路を数回通行した経験を有する者であることは被告人の当法廷における供述によつて認められるところであり、右道路は被告人が対面車を発見した地点から前記カーブまでの進行途上において交叉点も横断歩道もない直線道路であるから、その間事故を生ずる虞れのあるものが見られない限り、右道路上を対面進行して来る自動車とすれ違いをする運転の仕方としては、通常すれ違いに適当な速度をもつて左寄りに進行するをもつて足るものといわなければならない。検証の結果と被告人並に今泉康男の前示供述調書によると、被告人は菊地光の自動四輪車が対面進行して来るのを約二百米手前で発見してからこれとすれ違うために従前の速度を約三十粁に減速し、左側に寄つて進行した事実が認められる(事故発生現場附近の左寄りの程度は左側道端を寄り切つて谷田部方地内に寄り切つている)から、この点において被告人が運転上の注意を怠つたものということはできない。しかるに、本件衝突現場の約二十米の手前にさしかかり、被告人は対面車が自動三輪車をけん引しているのを発見したが、対面車とすれ違いを終える瞬間、右自動三輪車とは避くるに途なく衝突したものであることは前示各供述調書によつて認められる。ところで、検証の結果によると、右けん引車なる菊地の自動四輪車の車体の巾は一・四六米、被けん引車なる自動三輪車の車体の巾はこれとほぼ同巾の一・五米であつていずれも小型自動車である。右二つの小型自動車がけん引綱で連結されて近接し、後車が前車の跡より起る土煙に遮ぎられて進行して来た本件の場合において、右直線道路をこれに対面して進行する自動車からは、これに近づいた上でなければ、発見し得ない情況にあつたものであることが認められるので、被告人が二百米位の手前で対面進行の自動四輪車を発見後二十米位まで近ずく間にこれを発見しなかつたことに前方の注視を怠つた過失があるとはいわれないのみならず、このような情況において、右対面車がけん引車であるかも計り難いと予見すべき可能性もまた存しないものと認められる。そうすると、被告人が右自動三輪車をけん引していた菊地光の自動四輪車とすれ違いをするためにとつた前記運転の仕方に注意義務の懈怠があるとはいわれない。
前示実況見分調書、検証調書、鑑定人関清の鑑定書によると、本件自動車の衝突は正面衝突ではなく、自動三輪車の右側前部から車台の前部にかけ、被告人の自動車は右側前部をかすめて車台の前部にかけて、相当はげしい衝突であることが認められる。よつて先ず右衝突を惹起した原因を検討するに、前示実況見分調書、前示供述調書によると、右自動四輪車が自動三輪車をけん引した方法は、被けん引車の左側前端の助手席の手すりからけん引車の右側後端にあるカギにロープを対角線に連絡した仕方である。
前示鑑定書によると、このけん引の仕方では、被けん引車がけん引車の後方延長線と一直線に引かれるためには、平坦な道路上では、ハンドルは常時右側にとられ、ある程度の力を常時反対方向に加えなければ、被けん引車はけん引車のうしろを一直線に進行することは不可能であること、そして前車と後車を連結するロープが緩みなく張つているときは、ハンドルは常時右にとられるので、それを左に押えることによつて一直線に進行することができるが、前車が徐行したときはロープに緩みができ、それが急に張られると押えようのない程ハンドルガ右にとられれ、危険状態を顕出するものであることが認められる。ところで、本件の場合、右けん引方法でけん引された被けん引の操縦者がハンドルを左に押えて一直線にけん引車のうしろを進行し被告人の自動車とすれ違えをすれば、被けん引車もけん引車と同様に無事被告人の自動車とすれ違えることができたわけである。しかるに前記のようににわかにその態勢をくずし、けん引車のうしろから右に出た事態を鑑定証人関清の供述に照し合わせて考えると、菊地光のけん引車が被告人の自動車とすれ違えをするために徐行に移り(菊地光の前示供述調書)よつてけん引綱が緩んだのが、すれ違えて走るようになつてけん引車綱が急に張られたので、被けん引車のハンドルが右にとられ、急に右側に出たものと推認される。
そこで、本件事故をひき起した過失はどこにあつたかを考えるに、けん引車を運転する菊地光は道路西方のカーブを出たあたりで、二、三百米前方に東方から対面進行して来る被告人の自動車を現認し、これとすれ違うのであるから、その間、被けん引車とは十分の連絡をとり、右すれ違えをするに当り被けん引車がけん引車よりも右側に出ないように警戒し、特に速力の加減によるけん引綱の緩みや張りに十分な注意を払い、被けん引車の操縦者に相図してその操縦を適正ならしめ、事故の発生を未然に防止すべきけん引運転上の注意義務あることは勿論である。しかるに菊地光の前示供述調書、塚田年男の前示供述調書によると、菊地光はカーブを曲つてから本件衝突が起るまで、被けん引車の操縦者に何らの合図も注意もしていないし、助手の塚田年男もまたカーブを曲つてから衝突まで後ろを見ていなかつた情況が認められ、けん引車のうしろを一直線に進行する態勢にあるべき被けん引車が突然その態勢をくづして右側に出た事実から見ると、けん引車側において右けん引運転上の注意義務の懈怠がなかつたものとはいうことができない。被告人は対面するけん引車とすれ違うために左側一杯に車を寄せ、まさにそのすれ違えを終えようとした瞬間、被けん引車が右側に出たと供述しているが(前示供述調書)検証の結果によると、その際被告人の車が左側に寄り切つた程度は左側道端を越えて谷田部方の地内には入つており、停車の地点は衝突地点から三・八五米であるから、被告人が急停車の措置をとつたことは認められ、その際被告人において慌ててハンドルを右に切つたというがごとき事実の認むべきものがない。そして前示鑑定書並に鑑定人の供述によると、仮に、被告人が二十米手前で対向車を発見した直後に急停車の措置を講じたとしても、走つて来た対向車のうしろから被けん引車が突然右に出た本件の場合衝突を免がれ得たものとは認められないので、本件衝突は被告人にとつては予見することのできないけん引車側の不注意による突発的事故であり、被告人の自動車運転上の注意義務を怠つたことから生じたものでないことが認められる。
本件自動車衝突の反動によつて小沼茂が頸動脈刺創により即死したことは冒頭認定のとおりであるが、上来説明の如く本件において、本件事故は被告人の自動車運転上の注意義務を怠つた過失に基因するものであると認めるに足りる証拠はなく、従つて犯罪の証明がないから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り主文のとおり判決する。
(裁判官 小坂長四郎)